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英語教育を「国際競争力」「AIの進化に合わせた方法論」「日本のローカル事情」の3軸から見つめるブログ

ATC〜そのアイディアは教室に持ち込める?

さて、戻りますか

前回はブログ復帰第一弾ということで、過去半年の自分のことを書きました。今回から英語や英語教育の内容に戻っていきたいと思います。今日のキーワードは ATC=Applicability to Classroom、つまりアイディアや指導法などが「教室に持ち込めるか?」という視点です。このフレーズは教育学の様々な文脈で用いられているようですが、私は「アイディアの学習現場での実現可能性」という意味で用います。

 

残念な現状

大学院入試のために、研究テーマをエッセイにまとめて提出することになり、ネットで英語教育に関する最近の記事を検索する毎日が続きました。そこで、主に大学における英語教育関連の諸研究にある共通点を見つけました。何だと思いますか?様々な指導法や授業活性化のアイディアが議論されているのですが、どれもこれも結局は「先生のがんばり」にかかっているのです。「この指導法は教師への負担が大きいが、有効性が期待できる」などと平気で書かれています。それでいいのでしょうか?

 

成果あってこそ

教育活動は純粋学問ではないので、学習者に成果が出なければ失敗です。「実際の指導には生かせなくても、理想的な教育方法を考察することそのものに意義がある」と考える人は少ないと思います。つまり、教育方法は現実的である必要があります。

 私は勤務する会社の品質管理部門が外部に発信する英文をチェックする機会が多いのですが、ほんの数行を添削して担当者に戻すのに、30分程度かかることもざらです。元の英文のどこが英語的発想と違って、どう考えれば自然な英文になるのか、文法ミスの訂正を超えたアドバイスをしようとすると、どうしても時間がかかります。

 これがもし、高校の英作文の授業だったらどうでしょうか?英語で「書ける」ようになるには、文単位の「和文英訳」のみならず、最初から英語である程度の分量の文章を書く練習が欠かせません。しかし、40人のクラスでレポート用紙1ページの分量の作文を書かせて、丁寧な添削をすればどのくらいの時間がかかるでしょうか?1人分をたとえ10分で済ませても、40人分だと400分、つまり6時間以上かかってしまいます。実際は先生方にそんな時間はないので、本質的な作文の授業は展開できず、結果として問題集の解答を解説するような作文の授業になってしまうのです。

 私も教師時代、理想を抱いて生徒に英作文を書かせたはいいものの、自宅で夜中までかかっても添削しきれず、結局夜遅くの職員室でシュレッダーにかけたことがありました。先輩の国語の先生に相談すると、「私も作文で焚き火したことがある」と聞かされました。

 

学校で起きていること

今年出版された、妹尾昌俊さんの『教師崩壊 先生の数が足りない、質も危ない』(PHP新書, 2020)に詳説されているように、今の先生方にはとにかく時間がなく、労働環境は過酷です。先生方がそれほど忙しい理由については別の回に考えるとして、そんな現場に対して「この指導法は教師への負担が大きいが、有効性が期待できる」などとは、私は言えません。「教師への負担が大きい」方法は現実的ではないので、つまり教育学の研究としては失敗なのだと思います。

 

では、どうするか?

私は上の英作文指導の例では、指導法や授業活性化云々というよりも、「添削に400分かかる」部分に働きかけたいと思うタイプです。もし今400分かかる添削が、40分で済めば?あるいは4分で済めば?もちろんクオリティを落とさずに、です。「そんなことができるはずがない」と言われそうですが、そうでもありません。もちろん、AIの力を借ります。