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和製英語から見えてくるもの 〜その2〜

前回に引き続き、和製英語から見えてくるものを探ります。正誤対照ではなく、なぜそのような和製英語が定着したのか、という点に着目したいですね。

 

【語としては存在するが意味が異なるもの】

handle(車のハンドル)
車のハンドルは、英語では steering wheel です。車が好きな人なら、ハンドルと言わずにステアリングという人もいますね。handle とは「とって」のことですが、車に関してこの語が使われれば、ドアを開ける「とって」か、揺れる時に乗員がつかむための「持ち手」を意味します。語源として含まれる hand(手)と手で扱う車のハンドルがイメージ的に親和性が高かったのでしょう。調べた限り、最初からハンドルと呼ばれていたようで、旧来の日本語はなさそうです。

smart(スマート)
英語で smart と言えば、肯定的に「頭がいい」の意味です。「体型がすらっとしている」という意味は全くなく、そちらは英語では slender, slim, skinny, thin と異なる含意の語があります。日本語の「スマート」に最も近いのは slender でしょうか。「スマートフォン」のスマートはこの smart で、電話をかける以外にもいろいろできる「頭のいい電話」の意味ですが、こちらは「スマホ」と略されてしまいましたね。

service(サービス)
英語の service は、「人の役に立つこと」の意味で、「無料」という意味合いはありません。常連客にコーヒーを特別に「サービスで」出す時は、"on the house" と言いますし、ホテルなどでミネラルウォーターが「サービスで」提供されている時は "complimentary" と言います。そもそも、good service に対しては相当のチップを払うという感覚がありますね。

 

【英語ではあまり使わないもの】

merit / demerit(メリット・デメリット)
この2語は確かに英語ですが、ネイティブはあまり使いません。よく使うのは advantage / disadvantage の方です。「アドバンテージ」というカタカナ語も見ますが、一般的に使われるにはやはり長すぎたのでしょう。短くて簡潔な「長所」「短所」という日本語がありますが、用例検索してみると、「人の性格」について使われる場合がほとんどのようです。「指す相手(照応対象)」によって、日本語とカタカナ語を使い分けている例ですね。

 

【文法的におかしいもの】

idling stop(アイドリングストップ
以前このブログで取り上げた表現ですが、idling stop は「エンジンをかけたまま止まる」の意味で、意図した内容の正反対の意味になります。「停車時にエンジンを止める」の意味では、 stop idling となります。これは理由がはっきりしていて、日本語では目的語の後に動詞が来る(「りんご」が「好き」の語順)であるのに対し、英語では動詞の後に目的語が来る("like apples" の語順)であるからです。そのため、「アイドリングを止める」という意味になるためには stop が先に来る必要があるのです。

 

try and error(トライ&エラー)
英語の and は等位接続詞と呼ばれ、文法的に等価な要素しか結べません。try は「やってみる」を意味する動詞、error は「失敗」を意味する名詞ですので、この2語を and でつなぐことはできません。英語では trial and error(trial は try の名詞形)となります。もし「トライ&エラー」という表現を「何か変だな」と感じていれば、その人の英語の勘はいい感じで育ってきていると思います。

 

☆【英語に概念が存在しないもの】

paper driver(ペーパードライバー)
全く通じない和製英語の例です。対応する英語もないようです。文化的な背景として、日本のように、「車を運転する予定はないが、便利な身分証明書として運転免許証を取得する」という行動パターンが英語圏に存在しないことが考えられます。

 

☆【発音が異なるもの、英語+サ変動詞】

coffee(コーヒー)
英語の coffee(発音は「カフィ」に近い)と、日本語の「コーヒー」は発音が大分違いますね。日本に赴任する英米人も「コーヒー」が coffee の発音が変化したものだとは知っていて、日本式の「コーヒー」の発音を練習したりするようです。和製英語と考えられることは少ないですが、pseudo English(擬似英語)などと呼ばれたりします。しかし、日本語でも漢字をあてて「珈琲」なので、上で見たように対応する日本語がないのですね。

drive-suru(ドライブする)
「〜する」という動詞は「サ変」(サ行変格活用)と呼ばれる動詞のグループで、日本語、外来語、擬態語などと結びついて様々な動詞を作ります。「ドライブする」の意味は、「車で比較的長距離を移動してその過程を楽しむ行為」ですが、日本語で簡潔に言い表すことはできません。「運転する」とも「遠出する」とも異なる意味が「ドライブする」にはありますね。このような「英語+日本語」の合体表現も、和製英語の類例としてみなされることがあるようです。

 

和製英語というと、「△△という表現は和製英語なので、通じませんよ。正しくは○○ですよ〜」という文脈で使われることが多いように思います。しかし今回見てきたように、簡潔で適切な日本語の表現がないために、和製英語が広く使われるようになった例が多いようです。そしてそれは、日本語文化が外国語にルーツを持つ概念的、観念的内容を自国語文化に受け入れることができる「言語的豊かさ」を表しているのではないかと思います。

いつか、和製英語や擬似英語を徹底的に調べて分類し、その背景や歴史的推移を調べてみたいですね。本一冊には十分なりそうです。国語学・英語学・言語文化学・文化人類学の人たちの共通関心事であるはずです。