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文法は好きですか?

「文法は好きですか?」と聞かれて「好きです」と答える人は少数派ではないかと思いますが、今回は文法について少し考えてみます。

 日本語の「文法」という語も、英語で同義となる grammar という語も、それぞれ定義があいまいで、人によって理解が異なるように思います。そもそも文法とは何でしょうか?ネット上の定義を見てみましょう。

 

文法とは、言語体系、およびそのモデル、およびそれをもとにした、ある個別言語の話し手が従うべき規範である。ウィキペディア日本語版

grammar is the set of structural rules governing the composition of clauses, phrases and words in a natural language.ウィキペディア英語版)

 

どちらも間違ってはいないと思いますが、大切な二つのポイント、つまり「文法の成り立ち」と「何のために文法があるのか」という点について含まれていない点が残念です。簡単に説明します。

人工言語であるエスペラントや、人とコンピュータが情報をやりとりするためのプログラミング言語などと異なり、日本語や英語は「自然言語」(上の英語の定義中の "natural language")です。例えば英語は、大昔に人々が自然発生的に使い始め、周囲の言語との交流の中で変化を繰り返しながら成立したものであり、誰かが計画的に作った言語ではありません。文法は、言語学という学問の枠組みの中で「後付け」で考え出されたものです。文法規則に例外がたくさんあり、すべてをうまくは説明できないことが多いのはそのためです。にもかかわらず、文法はともすれば「最初から決まりとして存在している」と思っている人が多いのではないでしょうか?

次に、言語学者は何のために文法を考案したり研究したりするのでしょうか?主に二つの目的があります。一つは「自分たちが使っている言語についてより深く知り、人知を深めるため」(純粋学問として)。もう一つは「母国語や外国語としてその言語を学んだり教えたりする際の助けとするため」(応用学問として)です。

前者の目的が関係するのは言語学の学生や研究者だけですので、後者の目的に目を向け、文法の成り立ちも考慮に入れると、文法とは「言語を学んだり教えたりするのを効率化するために開発されたツール」であると言えます。私が学んだイギリス・オーストラリア系統の言語学では、このことを "scaffolding"(建築現場の「足場」のこと)に例えることが多いです。高い建物を建てることができるのも、足場あってこそであり、複雑な思考内容を言語で伝えることができるのも、その言語の文法が意識的・無意識的に共有されているからです。

しかし実際には、文法というと「言語学習を効率化するためのツール」どころか、「言語学習を嫌いにする無味乾燥な規則」と思われていることの方が多いですね。ここはやはり、学校教育での扱い方、教え方に問題があると言わざるを得ないと思います。この点については、また回を改めて触れたいと思います。