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私たちが勉強してきた英語(その2)

さて、私たち日本人が学校で勉強してきた英語が、果たして「文法を中心とした学習」だったのかというトピックです。伝統的に特殊なカリキュラムで英語教育をしてきたごく一部の私立学校を除いて、私は「そんなことはない」と思っています。

ここで言う「文法」とは、もちろん「難しそうなものは全部『文法』と言ってしまえ!」という荒っぽい議論に基づくものではなく、文法の本来の定義に基づくものです。

「文法とは、自然言語において語句を構成する際の構造上のルールである」

もちろん、文法なのかそれ以外の要素なのか、切り分けが難しいこともありますが、少なくとも純粋な語彙的内容は文法から外したいと思います。例えば、「高価ではない」ことを表す語には cheap, inexpensive, reasonable などがありますが、この3語の違いは意味とニュアンスの違いであり、構造上の違いではないので、文法ではありません。

では本丸に進みましょう。ずばり言うと、ほとんどの日本人が、中学高校と勉強してきた英語は、文法でも、もちろん読解でも作文でも聞き取りでも会話でもなく、それは「英文和訳」つまり「英語を日本語に訳すこと」ではなかったでしょうか。もっと正確に言うと、教科書や問題集の英文を見て、対応する日本語を「暗記する」作業です。これは、ほぼ英語の勉強ではありません。

実際には、英文の「単語の意味を理解し、主語や文型といった構造に注目して」日本語に置き換えていったはずです。しかし問題はその作業の内訳です。高校3年で受験勉強を始めるまでは、定期テストでそこそこの点数を取るために、どのような勉強をしていたでしょうか。上の、(A)「単語の意味を理解し、主語や文型といった構造に注目して」の部分に1時間を割くのと、(B)「とりあえず日本語訳を暗記しておく」ことに1時間を割くのとでは、圧倒的に後者の方が点数に結びついてしまうのです。本来は(A)の勉強に8割の時間を使い、確認程度に(B)をやっておけばいいのですが、実際は正反対になっていることが多いと思います。

中高生は英語のみならず多くの教科を勉強しますし、教科以外にも学校行事、部活、個人的な習い事ととても多忙です。「効率的にまあまあの成績を取る」勉強法に流れるのはある意味合理的です。また、教育水準の低い学校になるほど、(B)で対応できる問題を出さないとテストの正答率が極端に下がってしまい、成績をつけることができなくなってしまいます。

この話をすると、「ちゃんと英語を勉強していた。ただ日本語訳を暗記していたわけではない」と必ず反論されます。しかし、「中高時代に勉強した英語はあまり役に立たない」と認識する人の割合がそれなりに高く、社会人になって TOEIC の点数などが必要になると、急に大人向けの英語の教材を手に取るのはなぜでしょうか。それはその人たちにとって、中高時代の「英語の勉強」が実は本質的な英語の勉強とはかけ離れていたからと言わざるを得ません。

全く同じ教科書や補助教材を勉強していても、(A)を主眼として英語に取り組んでいた人たちは、高校卒業時にそれなりの英語力を身につけています。一方、上で社会人になって TOEIC の勉強を始めたタイプの人は、ほどなく「TOEIC の勉強では実際の外国人とのコミュニケーションには役に立たない」と言い始めることが多いのです。それはその勉強が、やはり「英語の勉強」ではなく「TOEIC 技術の勉強」になっているからです。

なぜそんなに日本人の英語学習を批判するのかと言われそうですが、むしろ逆です。私は、「日本人は中高であまり英語の勉強をしてこなかった(したのは日本語訳の暗記に過ぎなかった)のだから、多少(本来の意味での)勉強すれば伸びしろは大きい」のだと思います。