英語教育Cubed

英語教育を「国際競争力」「AIの進化に合わせた方法論」「日本のローカル事情」の3軸から見つめるブログ

私たちが勉強してきた英語(その1)

今回のテーマは、「日本人が勉強してきた英語」です。学校で教わる英語は、時代と共に移り変わっています。しかし多くの人がほぼ一律に、学校での英語教育を「文法を中心とした学習だったので、実用的ではなかった」と捉えているのではないでしょうか?

例えば数学のカリキュラムでは、互いに関係のうすい単元が存在し得ます。中学校のカリキュラムを例に取れば、「二次方程式」と「多角形の性質」はほぼ関連がありません。しかし英語ではこうしたことが起きにくいのです。教科書以外の副教材を考えてみてください。

文法をターゲットとした参考書では、例文が示されてそこに含まれる文法構造が解説されます。そして例文にはいろいろな語彙(単語)が用いられます。語彙なく文法を解説することは不可能です。他方、語彙をターゲットとした単語集でも、通常見出語を用いた例文が提示され、そこには文法事項が関係します。言語学統語論(syntax)という分野では、実際の英文は最小限しか用いず、文法構造を数式のように提示して論じることがありますが、高校までの教育ではそういうことはありません。つまり、「文法」「語彙(単語)」という二つの要素を切り離すことはできないのです。

教師時代に、カナダ人のALT (Assistant Language Teacher = 外国語指導助手)と一緒に授業をしていた時のことです。

a. Her face was expressionless.(彼女は無表情だった)

b. Her face was inexpressive.(同上:a, b 共に正しい文)

下線部の expressionless と inexpressive という語はどういう違いがあるか、という生徒からの質問に、その先生は、

"expressionless" は断定的で、「いつも無表情」という感じで、"inexpressive" は「たまたまその時無表情」っていう感じね。これだから「文法は難しいね!」と言ったのです。説明の内容もあまり当たっていませんが、それよりも何よりも「語のニュアンスが違って難しい」という事実に対して、"Grammar is difficult!"(文法は難しいね)と言ったことにびっくり仰天しました。これは文法ではなく、語彙の問題です。同じ語彙に関して文法が話題となるのは、次のような場合です。

a. He told me inexpressively that he had to go.(もう行かなきゃと彼は無表情に言った)

*b. He told me inexpressive that he had to go.(同上、しかし文法的に間違い)

この場合、inexpressively / inexpressive(無表情に)の部分は、動詞である「言った」の部分に係るので、副詞である必要があります。ですので、正しいのは a の inexpressively となります(言語学では b のように誤用・非標準とされる表現に * をつけます)。

そのカナダ人、英語教育の専門家ではないとはいえ(大学時代の専攻は心理学だったそうです)、英語のネイティブ・スピーカーです。この出来事の後、あるトピックが「語彙の範疇か、文法の範疇か」は実はなかなか難しい内容であり、「分かりづらくて難しいもの」をとりあえず全部「文法」と呼んでしまおう、的な雰囲気があるのではないかと気づきました。

多くの日本人が、学校で学んだ英語について「文法を中心とした学習だったので、実用的ではなかった」と捉えている背景には、この感覚があるように思います。本当に「文法を中心とした」授業を受けていましたか?中間テストや期末テストの前には、そんなに文法の勉強をしましたか?私はそんなことはない、と思っています。ではどうだったか、次回「その2」で説明したいと思います。