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英語教育を「国際競争力」「AIの進化に合わせた方法論」「日本のローカル事情」の3軸から見つめるブログ

ペラペラって何?

英語教師を8年間、その後海外営業を10年以上やっていますというと、高い頻度で「じゃあ、英語はペラペラなんでしょうね〜」と言われます。そう聞かれた時、「いえいえ、全然ですよ」というわけにもいかず(職業柄あまりにも無責任ですから)、かといって「そうですね、ペラペラですよ」とも言えないので、答え方を決めています。

「いえいえ、うまく表現できないことも結構あるので、『ペ』くらいですよ」

こういうとほとんどの人は笑って納得してくれ、過剰な謙遜にも自慢にもならず、うまく場がまとまります。ところで、そもそも「ペラペラ」ってどういう状態を指すのでしょうか?

「ぺらぺらおしゃべりしていないで、集中しなさい!」などと言われるように、「ぺらぺら」(ひらがなとカタカナで少しニュアンスやイントネーションが違うようにも思いますが)という擬態語には、どこか少し軽薄な含意があるように思います。自分がよく理解できない外国語で話をしている人を、いくぶん軽蔑的に見ているところがあるのではないでしょうか?対照的に、自分も理解できる内容を上手に外国語で話している相手を見た時には、「英語ペラペラですね〜」とはあまり言わないように思います。

街中や職場で英語を話す日本人を見かけると、職業病なのか思わず分析してしまいます。主に二つの点に注目します。一つは「発音やリズムが自然で、頭の中で英作文をしている感じを与えないかどうか」、もう一つは「話す英語の内容が充実しているかどうか」です。それぞれにスコアをつけるとすれば、世代が上がるほど「前者のスコアが低く、後者が高い」場合が多く(=そこそこ複雑な内容を表現できるが、流暢さがない)、逆に最近の新入社員などは「前者のスコアが高く、後者が低い」(=流暢に話すが、内容が貧弱)ことが多いように思います。双方のレベルが高い人の割合はあまり変わらず、それ以外の内訳が変わってきたような気がしますが、これは学校教育の内容の変化や、音声メディアの利用が進んできた結果なのかもしれません。

言葉はあくまで内容を伝えるためのもの、という立場では、表面的な流暢さには必要以上にこだわらず、学習者のみなさんにはより豊かな内容を英語で表現できるように注力してほしい、と思います。しかし、英語ネイティブ・スピーカーは「相手の英語の発音やリズムの流暢さから『この人にはどこまでの内容を話しても通じるか』を判断して、その範囲内で会話をする」という思考回路があるようです。つまり、流暢さが豊かな内容のコミュニケーションの入り口になっているという考え方です。確かに、私も外国人と話す時、一言二言話しただけで "Oh, you speak good English!(英語お上手ですね)" と言われて、そこから話が弾むことも多いですね。言葉の第一印象でしょうか。この辺りはまた別の回で取り上げたいと思います。

最後に、ペラペラですかと聞かれて「ぺ」くらいですよ、と返す妙案を教えてくれたのは、昔お世話になった音楽の先生でした。先生はフランス留学の経験があり、頻繁に「フランス語がペラペラなんて凄い!」と言われることに辟易して、この返答を思いついたのだとか。音楽家にとって最も重要なのはあくまで現地で学んだ音楽の表現方法であって、外国語能力ではありませんから、「語学ではなく演奏能力で勝負したい、評価されたい!」という気持ちの現れだったのかもしれません。

文法は好きですか?

「文法は好きですか?」と聞かれて「好きです」と答える人は少数派ではないかと思いますが、今回は文法について少し考えてみます。

 日本語の「文法」という語も、英語で同義となる grammar という語も、それぞれ定義があいまいで、人によって理解が異なるように思います。そもそも文法とは何でしょうか?ネット上の定義を見てみましょう。

 

文法とは、言語体系、およびそのモデル、およびそれをもとにした、ある個別言語の話し手が従うべき規範である。ウィキペディア日本語版

grammar is the set of structural rules governing the composition of clauses, phrases and words in a natural language.ウィキペディア英語版)

 

どちらも間違ってはいないと思いますが、大切な二つのポイント、つまり「文法の成り立ち」と「何のために文法があるのか」という点について含まれていない点が残念です。簡単に説明します。

人工言語であるエスペラントや、人とコンピュータが情報をやりとりするためのプログラミング言語などと異なり、日本語や英語は「自然言語」(上の英語の定義中の "natural language")です。例えば英語は、大昔に人々が自然発生的に使い始め、周囲の言語との交流の中で変化を繰り返しながら成立したものであり、誰かが計画的に作った言語ではありません。文法は、言語学という学問の枠組みの中で「後付け」で考え出されたものです。文法規則に例外がたくさんあり、すべてをうまくは説明できないことが多いのはそのためです。にもかかわらず、文法はともすれば「最初から決まりとして存在している」と思っている人が多いのではないでしょうか?

次に、言語学者は何のために文法を考案したり研究したりするのでしょうか?主に二つの目的があります。一つは「自分たちが使っている言語についてより深く知り、人知を深めるため」(純粋学問として)。もう一つは「母国語や外国語としてその言語を学んだり教えたりする際の助けとするため」(応用学問として)です。

前者の目的が関係するのは言語学の学生や研究者だけですので、後者の目的に目を向け、文法の成り立ちも考慮に入れると、文法とは「言語を学んだり教えたりするのを効率化するために開発されたツール」であると言えます。私が学んだイギリス・オーストラリア系統の言語学では、このことを "scaffolding"(建築現場の「足場」のこと)に例えることが多いです。高い建物を建てることができるのも、足場あってこそであり、複雑な思考内容を言語で伝えることができるのも、その言語の文法が意識的・無意識的に共有されているからです。

しかし実際には、文法というと「言語学習を効率化するためのツール」どころか、「言語学習を嫌いにする無味乾燥な規則」と思われていることの方が多いですね。ここはやはり、学校教育での扱い方、教え方に問題があると言わざるを得ないと思います。この点については、また回を改めて触れたいと思います。

 

驚愕の英語面接!

以前コンサル系企業の海外部署に勤めていた頃、中途採用試験で英語面接を担当する機会がありました。志望動機、これまでの仕事についてなど、一般的な内容は同席する役員が日本語でたずね、最後に私が英語面接をして「生の英語力を測ろう」という試みでした。なんと志願者には事前通知なし!いきなり当日その場で「英語面接やりますよ」ということにしたのです。想定問答を英語で準備してくることもできず、実にいい感じでみなさんの生の英語力を見せてもらえたように思います。今でもはっきり覚えているお二人を紹介します。

最初は履歴書に「イギリス在住経験7年」と書いてあり、自信たっぷりに面接前半を終えた30代男性志願者。はっきりとした受け答えは自信に満ちており、英語もさぞ上手なんだろう、自分は海外在住1年なので、きっと負けているだろう、と思って英語面接をスタートしました。

"Could you briefly explain what made you interested in working with us?"

(弊社海外部門を志願された理由を簡単にお話しいただけますか?)

面接前半ですでに聞いた内容なので、同じ内容が今度は英語で返ってくるな、と思っていると、驚きの反応が…

「すみません…英語忘れました」

おいっ、あなたが入ろうとしているのは海外部署で、日本にいる時も海外へ出た時も、基本全て英語で商談を進めるんだぞっ、忘れたなら応募してくるな!と言うまでもなく、面接は終了となり、彼はとぼとぼと帰っていきました。情けないのか気の毒なのかわからず、同席していた上司としばし無言の時間を過ごしたのを覚えています。実際は、過去に留学や在住で英語をそこそこ話していても、いわゆる「サバイバル・イングリッシュ」にとどまっていて、仕事での使用には耐えない人はそこそこいるのではないかと思った出来事でした。

 

次は正反対の事例です。自分より5歳ほど年上の女性志願者で、日本語でのやりとりの時からおちついた雰囲気で話す人でした。英語で面接をすると伝えても動じず、志願理由や興味のある業務内容について分かりやすく説明してくれました。途中、英語試験のスコアの話になると、彼女は自慢するでもなく、さらっとこう言いました。

TOEICも受けましたが、2回連続990点満点とれましたし〜」(もちろん英語で)

その頃私はTOEIC受験経験がなく、そう言われてすっかりひるんでしまったのを覚えています。自分がその志願者に試されている気がしたのです。これは巻き返しが必要!

その方はブラジル在住経験がおありとのことだったので、いい質問を思いつきました。ブラジルの公用語ポルトガル語ですが、ポルトガル語以外への翻訳が難しいとされる語、概念である "saudade"(サウダージ)について、英語で説明してもらおう!と考えたのです。彼女の説明は正確には覚えていませんが、次のような内容だったように思います。

"Saudade" is a mixed feeling of sadness, loneliness and positive acceptance of the reality...

詳しい説明は上の Wikipedia の記事を見ていただくとして、こういった抽象的な内容についてもきちんと英語で説明できる彼女の語学力は確かなものでした。ぜひとも我が社に、という話になったのですが、こちらの提示できる年収が先方の求めていたものと合わず、それ以上のご縁がなかったのがとても残念でした。雰囲気としては、企業の海外部署というより、フリーランスで通訳などなさるのが向いている印象を受けた方でした。

英語面接、自分の英語力をさらにみがいた上で、またやってみたいですね。もちろん抜き打ちで!

 

英語の先生の種類〜専攻内容編〜

前回は大学について取り上げましたが、次は英語教師が大学で何を学んできたか、という点についてお話ししたいと思います。英語に限らないのですが、数学でも社会でも理科でも、学問内容は多岐にわたります。同じように学校で教えている先生たちでも、専門として勉強してきた内容は驚くほど違っているものです。

実際には前回見た大学の種類によって多少決まってくる部分もあるのですが、英語教師の専攻はまずは次の3つに大分類されます。

 1. 英米文学

 2. 英語学

 3. 英語教育学

特に理系の人たちにとってはなじみのない分野だと思うので、簡単に内容を紹介したいと思います。まず最初に英米文学、これはイメージしやすいかもしれませんね。主にイギリス、アメリカの文学作品(詩や小説)を研究します。学年が進むにつれ、特定の作家や作品に対象を絞っていく学生が多いですね。私が学生の頃は、やたらとナサニエル・ホーソーンアメリカの作家)の研究が流行っていました(なぜだろう?)。

 次に英語学、これは言語学と言い換えてもいいのですが、言語学のうち対象を英語としたもの、という意味です。さらに4つの主な分野に分かれ、それぞれ Syntax(統語論=文法構造を扱う)、Semantics(意味論=文字通り)、Phonology(音韻論=発音・音声を扱う)、Pragmatics(語用論=文脈や背景を扱う)と呼ばれます。私が学生のころはこの順番が花形順でしたね。語用論専門の先生はいなかったように思います。4分野の専門家はそれぞれ固有のカラーというか、雰囲気があるような気がしますね。

 最後に英語教育学、これはイメージしやすいかもしれませんが、最近では「第二言語習得理論」や「TESOL = Teaching English to Speakers of Other Languages(非母語話者への英語指導)」という用語もよく聞かれるようになりました。応用言語学の一部にも分類される、言語学の知見を教育活動へ生かすことを追求する分野です。私はこの分類の出身ということになるのですが、1〜3の中では一番新しい分野です。当時、退官間近の教授などからは「昔は英語教師は文学か文法(英語学)をやったものだった。教育というのはいなかったね(=「邪道だ」の意味)」などと嫌味を言われたものです。

もちろん、上の3つの学問領域を主専攻とせずとも、他学部にいながら、教員免許取得に必要な単位をそろえて免許取得!という離れ業も可能です。私の教員時代の同僚にも、大学では国際政策を学んで英語と社会のダブル免許、という強者がいました。授業を組み立てる時の発想も違っていましたね。「大人になったらPC上ではスペルチェックが使えるから、February なんていう綴りを覚える必要はない!」と言って周囲に反感以前の「?」をふりまいていました。なぜ February なのかは謎でしたが…

英語の先生の種類〜出身大学編〜

私は大学入学時は教師になる気などさらさらなく、大学4年に上がる頃から教職を意識し始めたのですが、それはかなりの少数派でした。3年下の大学1年生に混ざって教職に必要な科目を履修するも、大学卒業時には結局免許を取れず、大学院修了時に第一種(大卒)・専修(修士卒)の免許を同時取得しました。ところで、英語の先生にはどんな種類?の出身の人たちがいるのでしょうか。今回は主に出身の大学のグループ分けをしてみたいと思います。


1)教員養成系大学

「〜教育大学」と名前のつく大学です。一番イメージしやすいですね。入学時から教員志望の学生がほとんどです。東京学芸大学もこのグループに入りますが、私の感覚ではむしろ「教育の総合大学」という感じですね。ちなみに小学校の先生になりたい人はこのグループに進むことが多く、例えば東京大学に進学しても小学校の教員免許は取れません。

2)総合大学の教育学部

 東京大学京都大学には教育学部があります。実際にはこういった総合大学の教育学部を出て教員になる学生は意外と少ないです。「実際の教科指導」ではなく、教育心理学や教育社会学といった学問領域を研究するのが主目的です。

3)総合大学の文学部

 多くの大学の文学部には英米文学科があり、そこで英語の教員免許を取得できます。英語の教員になる学生の割合は、上の教育学部よりもこちらの方が高いですね。特に、早稲田大学上智大学英米文学科出身者には優秀な英語教師が多いですね。

4)外国語系大学

 東京外国語大学津田塾大学神田外語大学など。上智大学には外国語学部英語学科があり、特別の存在感を出していますね〜

5)旧師範学校

 旧東京高等師範学校(現筑波大学)、旧東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)その他各地の旧師範学校。あまり知られていないようですが、教員採用試験は「競争試験」ではなく「選考試験」なので、各師範学校がテリトリーとするエリアでは今でも強い派閥となっていることが多いです。


英語教師は「英語」と「教師」のどちらがホームグラウンドだったかでも分けることができるような気がします。つまり、英語や英語文化が好きで、なにかしら英語に関わる仕事につきたいと思っていた人(通訳者・翻訳者、企業で海外業務など)が、その一環として教職を選ぶ場合。他方、なにかしら教育に関わる仕事につきたいと思っていた人が、英語を教える教科として選ぶ場合。

「生徒指導などはできるだけしたくない〜」という前者のオーラ全開の先生から、「英語はあんまり得意じゃないよ〜」という感じの後者の先生まで、いろんな人がいましたね。私が着任した2000年には、英語の先生ばかりを集めた新人研修で、はばからず「英会話は苦手だね〜読み書きはいいけど〜」と言う人が結構いました。今はそれは言いづらい雰囲気になっている?ことを信じつつ…

 

アイドリングストップ?

私の愛車は2001年式で、信号待ちで停車してもエンジンは自動停止してくれないのですが、多くの車には、停車するとエンジンも停止する、いわゆる「アイドリング・ストップ」のシステムが搭載されていますね。最近は路線バスにもこのシステムがついているようです。しかしこの「アイドリング・ストップ」、実は和製英語だということをご存知ですか?

英語で綴った "idling stop" を Google 検索してみてください。多くの英文サイトが表示され、本来の英語表現のように見えるのですが、よく見てみると上位に表示されているのはほとんが日本の自動車メーカー。ドイツや米国の自動車メーカーのサイトは見つかりません。では「アイドリング・ストップ」は英語では何というのでしょうか?

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一般的には "start-stop system" あるいは逆にして "stop-start system" と呼ばれています。(参考:https://en.wikipedia.org/wiki/Start-stop_system?wprov=sfti1)なんとも単純な名前で、むしろ和製英語の "idling stop system" の方がもっともらしく見えるのですが、実は "idling stop" と言ってしまうと、英語では全然異なる意味になってしまいます。

英語では完全な文の形になっていなくても、語形(動詞の原型か、-ing 形か、-ed 形かの区別)によってそれぞれ含意があり、ここではstop は動詞の原型として「止まれ」の意味になるか、あるいは名詞として「停止」の意味になるかのどちらかです。一方、idling は文法的には現在分詞(現在進行形などを作る形)と動名詞(〜すること、の意味)の二つの可能性がありますが、単独で用いられた時には動名詞の解釈になりやすいのに対して、他の語と一緒に用いられると現在分詞としての解釈になることが多くなります。現在分詞は句や文の状態を説明する働きがあるので、ここでは「"idling" な状態で〜」の意味になります。合わせると、「"idling" な状態で停車する」、つまり「エンジンをかけたまま停まる」という意味になり、なんと、正反対の意味になってしまうのです。和製英語に慣れている英語ネイティブは理解しているようですが、やはり?が残る表現です。

では、英語の "start-stop system" ではなく、どうしても "idling" という語を使いたい!場合はどうすればいいでしょうか?答えは簡単で、語順を逆にすればOKです。"stop idling system" とすれば、"stop" と "idling" の二言の関係性が非常に明確になります。英語は基本的に動詞の後に目的語が来るので、こうすれば「アイドリングを停止する」という本来の意図どおりの意味しか持たなくなり、あいまいさを回避できます。ちなみに日本の自動車メーカーの中では、マツダが "stop idling system" の表現を使っています〜パチパチ。

 

Find my Tokyo?

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東京メトロで通勤していますが、石原さとみさんが東京の魅力を発見する、"Find my Tokyo." はいつも楽しみにしています。「今回はあの街が取り上げられているんだ〜」と納得してみたり意外だったり。東京は本当に懐の深い土地なんだなと思います。

でも、"Find my Tokyo." という英語は?ですね。すでに英語の先生方や学習者の方々がブログなどで書かれているように、少し不自然です。どうすれば自然になるのか考えてみましょう。

英語は日本語に比べて、文法の融通があまりきかない言葉です。"Find ~" まで言ったところで、問答無用で「それは命令文なので主語は You」となってしまいます。日本人としては「固いこと言わずに」と思いますが、"Find" で文を始めるならば、英語としては "Find your Tokyo" (あなたの東京をみつけよう!)というのが正しい文です。でも、石原さとみさん演じるこのプロモーションの意図は、「私にとっての東京の魅力を見つける毎日〜」というニュアンスですね。ではどうすればいいでしょうか?

一つの解決策は、動詞の原形 "Find" を使わず、かわりに過去形の "Found" を使うことです。英語では自分の過去の行動を振り返る際に、主語を省略して過去形を使うことがよくあるので、このコピーを、"Found my Tokyo." とすれば、"I found my Tokyo" の "I" が省略された感じで、英語としては自然になります。意味としては「私にとっての東京の魅力、ついに見つけた!」という感じです。しかし、東京オリンピックパラリンピックに向けて、過去形ではなく、現在進行形で発信していきたいというのが東京メトロのねらいだと思います。

 a. Find my Tokyo. → 英語として不自然

 b. Found my Tokyo. → 英語としては自然になるが、意味が合わない

現在進行形と書いたところなので、では "Find" を "Finding" としてはどうでしょうか?実はこれが一番ねらっている意味に近くなります。

 c. Finding my Tokyo

英語としては、a, b が文法的に「文」であるのに対して、c は「文の一部」になります。文法用語を使うならば「付帯状況を表す従属節」ということになり、その後に続く部分を修飾します。「私の東京を発見しながら〜」という意味になり、探しながら何をするのか(意味の主要部分)は含まれない表現なので、その部分は受け手にゆだねる感じになります。東京の魅力を発見しながら、『オリ・パラで来日する外国人をおもてなししたい』『今まで知らなかった東京を探索してみよう』というポジティブな意味を発信できるように思います。

東京メトロのみなさん、まだ遅くないですよ。外国人アスリートに「この英語不自然じゃない?」と言われる前に、しれっとコピーを変えてしまいましょう。Find → Finding、たった3文字の追加で日本人の英語に対する評価アップです!